「2013年の首都大3年生に「ネットワークメディアアート演習」の課題を出す」
今までの1年間の課題を通して、本当に最後の課題というわけで。。。
今までの課題を振り返って、バーチャル・仮想空間とリアルな世界の境界線があやむやになっていると感じていることをよく感じました。むしろ仮想とリアルがそれぞれに世界を作っていて、たまに交わる・・・という感じでしょうか。
ある会社の方がおっしゃっていたのは、2つを主従関係でとらえるならば、リアル=「主」、仮想=「従」。しかし今それが逆転するビジネスも生まれつつあるぞ、と。しかしむしろどちらも別々に成長しているようなイメージがあります。
5年後には、現在よりももっと便利で未来的な世界ができるかもしれない。そうなればより。自分や現実・仮想の境界線があいまいになるのではないか。
→ならば一度、現実とはなにか・仮想とはなにかを考えてもらう。
・リアルとバーチャルの違いについてを考えてもらい
・リアルな世界とバーチャルの世界の可能性について作品を作ってもらう
…というわけで。
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【課題】
『現実と仮想の世界の違いを作品として表現する』
※ただし現実と表現する場合には仮想で
仮想を表現する場合には現実で表現することとする。
どう違うのか・またどういった点が同じなのかを作品とし表現してもらう。
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【課題2】
『世界とあなたの関係性を作品として表現する』
上記のものとほぼ同じ。ただし仮想上での表現とする。
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おまけ。
【課題3】
『もしも●●がなかったら』
5年後にメジャーなサービスとなっている●●がなかったときの想像をし、自分であったらそのサービスがない時にはどういったものを代用として作り出すか?
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が課題です。
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1 件のコメント:
1年間おつかれさまでした。
この講義では「リアル」「バーチャル」という言葉遣いをあえてしませんでした。みんな普通に「実感」を持って両方の世界に接しているからですね…併せて「リアル」じゃん、といったところです。
ただ、物理空間とウェブ空間、みたいな仕切りをつけることは可能です。i-Miraikanやブラジルワークショップがそうでしたが、両方の世界を相補的に扱って「よりイイ(=楽しい、面白い、役に立つ)もの」を生み出すことは可能だと思う。そのあたりを5年後の学生も、欲をいえば今年受講してくれたみんなも、将来に渡って追究して欲しいところです。
もしも○○が無かったら、という課題設定は面白いですね。今だとケータイ?gmail?google groups?とか、それらが無かったときにどうやって「ネットワークメディアアートの講義」を進行するんだろう…と想像してみると楽しいです。毎回、何かのツールを禁じ手にして進めていくこともできそう。
少し脱線しますが、各章から一文字づつ五十音が消えていく「残像に口紅を」(筒井康隆)という実験的小説があります。これも第一章では「あ」が消えていて、○ルパカがこの世から消滅している。まあアルパカが居なくなっても日本のほとんどの人は困りませんが、○ニメが無くなっちゃうと困る人は多そうです。
しかし○ニメはマンガとか動画とかに「言い換える」ことができますね。テクノロジーもこのあたりが強度になるのかな。他のもので容易に代替できるようになれば普遍的なものにになるのかも知れません。ネット系について言えば、まだ暫く掛かりそうですね。
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